妊娠中に後ろから自転車に追突されて
流産したことがあった。この時、義母から
「母親になる自覚がないからだ」など
いろいろ言われた。
自分でも後悔していたのに、
さらに追い打ちをかけてくる義母の言葉に
つらくなって実家に戻った。
その時、旦那は私と義母を二度と
会わせないことを約束をした。
それから8年近く、
約束通り私は一度も会うことはなかったんだけど…
隣県で一人暮らししていた義母が亡くなった。
新聞配達の人が、
新聞でポストが詰まってることから
民生委員に連絡してそこから発見。
新聞の販売店と民生委員の間で、
独居老人のお宅には
そういう注意がされるようになってたらしい。
近所付き合いも殆どなく友達もいなくて、
私も義母とは絶縁していた。
警察から連絡があって夫が引取りに行った。
夫が泣いて泣いて、ずっと落ち込んでて、
半年ぐらい経って離婚の2文字を出すようになった。
連絡が来るまでは普通に暮らしてたんだけど。
傍目には仲の良い子梨夫婦に見えたと思うけど、
本当のところは多分心は通じ合ってなかったと思う。
特に大きな喧嘩をしたこともなかったし、
ふたりで旅行なんかもよくしたけど
お互いの間で、本当の意味での
信頼関係はなかったかもしれないと今は思う。
結婚して2年ほど経った頃に、
妊娠中に後から自転車で追突されて
流産したことがあった。
その時義母に
「大事な時期にフラフラ遊び歩いてたんじゃないの」
とか
「母親になる自覚がないから
流れるようなことになったんだ」とか言われた。
初めての妊娠だったから
私なりに注意はしながら生活してたけど、
車を持ってなかったから
徒歩で10分ほどのスーパーに買い物に
行った帰りのことだった。
線路沿いの賑やかな通りで、
後から自転車がくる音に気付かなかった。
自分を責めた。
買い物なんて夫が休みの日に行ってもらえば
良かったと思ったし
もっと前後を確認しながら歩けば良かったとか、
多少遠回りでも裏路地を歩いた方が良かったとか思ったし。
義母の言葉は更に追い打ちをかけるようで辛くて、
鬱になってしばらく実家に戻った。
それで更に義母が怒って
「自分の不注意なのに実家に逃げるとか何事か」って。
義母はかなり太ってて、
私たちが結婚した頃はまだ50代だったけど
バランス良く真っ直ぐ歩けなくて
家の中でも杖をついてるような人だった。
怒るとその杖を振り回す癖もあって、
実際二の腕や腰を杖で叩かれたこともあった。
見た目のことを言うのは失礼なんだろうけど、
私にはその姿でキツイ事ばかり言う義母が
本当に怖かった。
それで自宅には戻るけど
もう義母とは会わないと夫に宣言した。
うちの両親も
「君が盾になる覚悟がないなら娘を戻せない」
と言って
夫は私と義母を二度と会わせないことを約束した。
それから8年近く、
約束通り私は一度も義母には会っておらず
夫は時々様子を見に行っていたようだが、
向こうでどんなことがあったか話すこともなかった。
離婚の話を出すようになってから初めて
「あの時点で私と別れて母親のそばに
ついていてやれば、
もう少し母の人生も変わってたんじゃないだろうか。
一人にしてしまった事で、
余計に世の中全てが敵のような顔つきになって行った。
ああさせてしまったのは自分だと悔いている」
って胸の内を語られた。
「私子の事は今でも好きだけど、
それと母親に対する気持ちは又別のものだ」
って言ってる。
「私子といると、母への懺悔がどんどん膨らんでくる」
って。
それを言われた時に、
離婚を受け入れようと思った。
この人とは分かり合えないと思った。
そして離婚。
未だに当時の空しい気持ちを消せない。
第三者から見たら義母は自業自得だと思うけど、
実子にとっては自業自得だから
仕方ないとは思えないんだろうね
とはいえ、
しばらく経ったら復縁要請が来る気もする
引用元: ・今までにあった修羅場を語れ【その29】