姉と近所の子と一緒に砂場で遊んでいた時、
飽きた私はベンチの上にある
日差し除けの覆いに飛び乗って遊び始めた。
ベンチからジャンプし
覆いの端に指をかけてぶら下がっては
地上に飛び降りる。
それを何度か繰り返して
遊んでいたんだけど、
とうとう手が滑って落ちた。
あまりの痛みにしばらく動けず、
砂場で遊ぶ姉と友達が遠く感じた。
その内、私のうめき声に気付いた姉が、
曲がった私の左手首に驚き、
自宅へ飛んで帰った。
姉と共に駆け付けた母は
かまぼこ板と包帯を持っていた。
折しもその日は休日。
病院はあいておらず、
少し離れた救急指定の小さな整形外科医院に
連れて行かれた。
医者はかまぼこ板にまず笑い、
簡単な診察をして骨折ですねと診断。
私は添え板を当てられ
包帯でぐるぐる巻きにされ、
全治1か月と言われた。
その治療に母はレントゲンは
撮らないんですかと詰め寄ったが、
医者は必要ないと。
そんなに心配なら
今から別の病院に行けば良いでしょう
とまで言ったらしい。
私はよく覚えていないんだけどね。
腹を立てた母は翌日、
総合病院に私を連れて行き事の次第を伝え、
もっときちんと診察して欲しいと訴えたそうだ。
結果、レントゲンの後に
私は手術と入院が必要な
とても厄介な骨折だと判明。
手術後は肘までギプスで固められ
全治3か月で
半年は体重をかけるなと言われたほど。
医者曰く、
下手をしたらお宅のお子さん、
左右の腕の長さが違って成長していたかも、
だと。
その後数年間は、
母から折に触れて
「ちょっと腕をそろえて見せてみなさい」と、
何度も腕の長さを確かめてはほっとする、
という事が繰り返された。
後から知ったが、
最初に行った小さな整形外科医院は
近所では有名なやぶ医者だったらしい。
でも救急指定だから
近所の学校でけが人が出ると
真っ先に運び込まれてしまい、
後から別の病院に移るのが
定石になっていたくらいだそうだ。
人生初の骨折の上、
病院での母の滅多にない怒った姿と、
左腕が成長しないかもと
数年間はちょっと不安で怖かった。
お母様GJ!
わが子のために必死だったのでしょうね
治って良かった
自分は小1の時左ヒジを骨折して、
藪医者兄弟がヘンな向きに
くっつけやがったせいで、両腕の長さが違ってた
5年生の3学期末の春休みに
大学病院で再手術して繋ぎ直したけど、
今でも左の指先が左肩に付かない
その後藪医者兄弟の整形外科は潰れて
兄はもうなくなったんだけど、
弟は近所に内科も整形外科もオkの
個人病院開業して医者やってる
>>455の母はGJだったな
子供の場合、
成長軟骨っつーのがあるらしい。
それが欠けたり折れたりヒビ入ったりすると、
骨の成長を阻害するんだとか。
関節付近にあるそうだから、
ほんと子供の骨折は気をつけないとな。
再手術大変だったね。
救急指定になっていることが多いんだろう
以前住んでいたところの救急指定も
「天国に一番近い医者」と呼ばれていたよ
友人が救急で運び込まれたところも薮だったよ。
このご時世にベッドがガラガラで
いつまでもいていいよ~って雰囲気だった。
やっぱりすぐにみんな転院するから
空いているらしい。
藪だから救急指定でもしないと
経営続けられないのかもしれない・・・
もちろん全ての救急指定病院が
藪だとは思わないけどね。
怠慢がうまれるんじゃない
(人件費が高い・夜勤する医者の確保が難しい)から
指定をいやがる病院は多い。
救急としては
とりあえず病院に突っ込んどきたいから
そういうところが指定されるんだと思われ。
空きがなくてたらいまわしって
ことがなくなるもんな
引用元: ・今までにあった最大の修羅場 £21