駅のホームで電車を待っていたら、
不意に肩を叩かれた。
振り向いてみたら、
そこにいたのは小中学校の同級生。
お互いにあまり顔が
変わっていなかったのですぐにわかった。
ベンチで少し話したところ、
あちらは仕事で来ていて帰るところだった。
連絡先の交換をして別れたが、
その時の会話で小学校時代に
いじめ(?)られていたことを
思い出したので書いてみる。
そもそものはじまりは、
技術系の資格持ちの父が、
仕事場兼自宅を建てて独立開業したところ。
小学4年生に上がるタイミングで
引っ越したのは、
もといた市から一般道で
1時間ちょっとくらいの距離。
どちらも田舎で
そこそこ家と家の距離があって、
小学生が遊びにいくのに
自転車がないとちょっと厳しい……
みたいなところだった。
私は特筆すべきところのない、
成績もスポーツも顔面も体型も、
本当に普通の女の子だったと思う。
わりとすぐに友達ができ、
2週間もしないうちに
引っ越しの片付けも終わって
自転車の準備もできたので、
新しくできた友達数人と
遊ぼうということになった。
『じゃあ、○○公園に集合ね!』
とだけ約束し、
私は家に帰って急いで宿題を片付け、
その公園に向かった。
公園は、ベンチと時計と
ゲートボール用のスペースがあるだけの、
子供が遊ぶにはあまり向かないところ。
通学路から見えるところにあり、
まだ地理をいまいち掴めていない私でも
辿り着けるランドマークだったので、
そこから誰それちゃんのお家に行って遊ぼう!
みたいな話だったはずだ。
ウキウキしながら全速力で
自転車を漕いで、
着いてみても誰もいなかった。
友達と遊ぶというイベントが
久しぶりだったので、
すごい勢いで飛び出してきた自覚はあった。
急ぎすぎちゃったな~
なんか恥ずかしいな~
……なんて思いながら待っていたのだけど、
結局いつまで待っても友達は現れなかった。
翌日、登校してみたら
約束していた子たちが駆け寄ってきた。
「なんで昨日これなかったの?」
「迷っちゃった?」
「ごめんね、うちが公園近かったから
電話番号教えとけばよかったよね……」
と、口々に心配してくれる友達。
あっれー?と不思議に思いながら、
家に帰って宿題をして
すぐに向かったけど誰もいなかった旨を
伝えると、びっくりされた。
「宿題、先にやるの?」
私もびっくり。
引っ越す前の地域では
宿題をしてから集まるのが暗黙の了解
というか常識というか……だったのだけど、
こちらではバイバイして
家に帰ってから宿題をするのが当たり前だった。
記憶が正しければ宿題は
30~45分もあれば終わるもの
だったのだけど、
その時間をベンチしかない公園で
待つ時間は、
小学生にとってはかなり長い。
これが私達のすれ違いを生んだのは明らかだった。
な~んだ~!と笑って、
今日は宿題前に行くね!
なんて話して、
それでその話は終わったはずだった。
その学校の宿題には、
3行くらいの日記を書いて提出、
先生がコメントして返して……
という交換日記みたいなものがあった。
そこに、私は
『これから○ちゃん☆ちゃん◇ちゃんと
遊びにいってきまーす!』
みたいなことを、
他の子たちは
『(私)ちゃんが待ち合わせに来なかったので心配です』
のようなことを書いた。
当然といえば当然の流れで、
私達はその日の昼休みに呼び出された。
担任はのっけから取り調べムード。
単なる行き違いであったことを
私達は一生懸命説明し、
担任はうんうんと
それを聞いていたのだが、
次の瞬間私の頭に強烈な拳骨が落ちてきた。
「せっかく転校生のお前なんかに
優しくしてくれたうちのクラスの子たちとの
約束を破るとは何事か!?」
というようなことを
怒鳴られたそうなのだが、
私は拳骨の衝撃で
脳震盪を起こしてぶっ倒れ、
2~3分くらい記憶が無い。
その数分のうちに、
一緒にいた子たちが悲鳴をあげ、
悲鳴を聞きつけた別の先生が駆けつけ、
その先生に担任が殴りかかり、
また悲鳴があがり、
騒ぎを聞きつけた他の先生が駆けつけて……
というようなことがあり、
目が覚めたら担任が
3人の先生に取り押さえられているところだった。
かなり後になってから
聞いたことなどを含むのだけど、
どうやら担任は
転校生を受け入れたくなかったらしい。
3年に上がるときと
5年に上がるときに
クラス替えがある学校の、4年生。
1年間積み上げてきたクラスの絆というか
空気感があるなかに
転校生が馴染めるか……
というのは確かに悩ましい問題のように思える。
私が転入したクラスは
前年度のクラス対抗行事のほぼ全部で
優勝をかっさらった
最優秀クラス(?)で、
担任は今年度も全部優勝できる!
とウハウハしていたところに、
私の転入が決まった。
最初は断ったそうなのだけど、
他のクラスに比べて
2人くらい人数が少なかったこと、
最優秀クラスだったことなどが理由で、
最初に駆けつけた先生に
説得されて
私を受け入れざるをえなくなったとか……
つまりは担任の中で
私はクラスに迷い込んだ異物みたいな扱いで、
それが転校してきて
わずか2週間足らずで問題を起こしたものだから
激昂した、ということらしい。
幸いというかなんというか、
私の頭頂部にたんこぶができたくらいで
済んだこともあり、
担任に謝ってもらって
その事件は幕をおろした
……はずだった。
呆れたことに担任は1年間
『クラスのみんなプラス転校生』
という扱いをやめなかった。
というか露骨にクラスのみんな、
と呼ぶべきところを
『みんなと(私)さんも』と呼んでいたので
小4の私にも嫌でもわかった。
友達と話していて
私が話題の中心になっていたら
何か言いつけて
話題を中断させるとかもよくあった。
そんな扱いをされている子がいれば、
当然クラスはぎくしゃくする。
しかしさすがは最優秀クラスの
いい子たちだけあって、
子供からのいじめは一切なかった。
むしろ担任からかばってさえくれた。
ちなみに、前年度と競技が
変わったのもあってか、
その年はいくつかの競技で
優勝したものの、
最優秀クラスなんて言われるほどの輝きはなかった。
担任はそれがお気に召さなかったらしい。
5年生になって担任を外れたあとも、
ある教科の担当として関わったのだけど、
その際には私を執拗にイジってきたものだ。
それも中学に上がるまでの話で、
同級生と会うまですっかり忘れていた。
同級生と出会って
当時を思い出したら
ちょっと嫌な思い出もあるものの、
昔のこと過ぎて記憶はあるけど
気持ちのほうはもう褪せていた。
むしろ、よくできた子供たちだったなぁ
とほんわかした気持ちになったりもした。
……ところへ、
今日、その元担任から
フェイスブックの友達申請がきた。
同級生とは確かに
フェイスブックのアカウントを教えあった。
出会ったときに私のスマホの
充電が切れていたのと
電話番号で検索できないようにしていたのとで、
ラインのアカウントで繋がれなかったからだ。
元担任と同級生は
なにかの時にアカウントを
交換していたらしく、
そこ経由で見つかってしまったらしい。
正直、めちゃくちゃ驚いた。
悪い意味で。
どんな顔して『お友達』申請したんだろう?
今も昔もこれからも、
『お友達』になんてなる要素はかけらも無い。
順当に老けた元担任が満面の笑みを
浮かべているアイコンを見たら、
褪せたと思っていた怒りが
再燃してきて、もうイライラが止まらない。
こんな気分で
年越しなんて最悪なので吐き出し。
怒りに任せて長文失礼しました。
クソみたいな担任だな…
って思ってたら最後!?
こわすぎるわ
書き込みが厄落としになることを祈る
いや、もう本当にクソですよね?
当時は曲がりなりにも
『先生』に対してそういう感覚は
無かったですけど、
大人になってみたらただただクソですね。
お友達申請については、
怖いというより気味が悪い感じです。
同級生とは後からラインで
繋がったこともあり、
さっき事情を説明して
フェイスブックのお友達をやめました。
一度見つかってしまったので
無意味かもしれませんが……
気持ち悪いですね。
本当、キモイ・・・。
来年は、気持ちよい一年を過ごせるよう祈ります。
なんか他の方から
キモいって判断してもらえるとホッとしますね……
怒りはだいぶおさまってきました。
来年のためにも
そろそろ気持ちを切り替えないとですね。
ありがとうございます。
引用元: ・その神経がわからん!その62